田中好子



田中好子(たなかよしこ 本名:小達好子 1956年4月8日生)
 [女優/アイドル歌手]


 東京都生まれ。実家は釣具屋。東京成徳短期大学卒業。1969年に渡辺プロダクションが経営する東京音楽学院に入学。入学後、スクールメイツのメンバーに選抜される。

 1972年NHKの歌番組『歌謡グランドショー』のマスコットガールのオーディションに伊藤蘭、藤村美樹とともに合格。この3人組はキャンディーズと命名され、マスコットガール兼アシスタントとして活動。テレビヒーロー作品『突撃! ヒューマン!!』にヒロインとして出演。また、この年の紅白歌合戦で橋幸夫のバック・コーラスや南沙織のバック・ダンスを務めた。

 1973年9月1日、キャンディーズとして「あなたに夢中」で歌手デビュー。当時のニックネームは「スーちゃん」(好子の“好”という字が「すき」の「す」であるため)。キャンディーズ結成当初のニックネームは「ヨッチ」だったが、「ラン・ヨッチ・ミキ」では語呂が悪いのでファンに「スー」というニックネームを付けてもらった。コーラスパートはメゾソプラノ。

 デビュー曲の「あなたに夢中」から4曲目の「なみだの季節」までは、歌唱力を評価されてキャンディーズ初期のセンター位置のリードボーカルを担当した。その間はヒット曲に恵まれず、その後5曲目の「年下の男の子」以降殆どは、メインボーカルを伊藤に譲り、向かって右の立ち位置でコーラスを務めた。但し「わな」の時は、メインボーカルのセンターは藤村となり、向かって左が田中、右に伊藤と移動する。さらに事実上のラストシングルだった「微笑がえし」は、2番の途中サビの部分で伊藤と入れ替わり、田中がセンターについていた。

 1977年以降は、歌手としてだけではなく、作詞作曲も行う。作品に「LOVE ME LOVE ME」「ミッドナイト・ハイウェイ」「私の彼を紹介します」「季節の別れ」「一番星さん」「なんとなく」「午前零時の湘南道路」「PLEASE COME AGAIN」「いけない人」「土曜日の夜」がある。

 1978年4月4日にキャンディーズは解散した後、一時引退。1980年に芸能界へ復帰し、ソロシングル1枚を発表。その後は女優業に専念した。

 1989年に公開された『黒い雨』で、主役「高丸矢須子」役を演じ、日本アカデミー賞・ブルーリボン賞・キネマ旬報賞・毎日映画コンクール・報知映画賞などで主演女優賞を受賞。日本アカデミー賞などでは作品に対しても大賞を受賞し、第42回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門で上演された。また、原爆症の表現の為に、入浴シーンで体の変化を表現する為に敢えてヌードになり話題を呼んだ。その頃から、演技派女優の評価をされた。

 1991年5月21日、プロゴルファー・実業家の小達一雄(夏目雅子の実兄)と結婚(結婚は夏目が亡くなった後だが、生前から夏目と親交があった)。挙式、披露宴には両家の親族や田中のプロダクション関係者らごく内輪の人たちだけが出席した。

 テレビでは、1983年から1984年の連続テレビ小説『おしん』のおしんの養女「田倉初子」役や、1994年の『家なき子』でヒロインの母「相沢陽子」役、2001年の連続テレビ小説『ちゅらさん』では主役の母「古波蔵勝子」役などを演じた。また映画では、1999年の『鉄道員(ぽっぽや)』で同僚の妻「杉浦明子」役、2003年の『鏡の女たち』で主要キャストの「尾上正子」役などを演じた。

 また女優以外にも、夫の小達一雄が夏目雅子の実兄であることより夏目雅子ひまわり基金の活動、厚生労働省の公衆衛生審議会委員、国立国際医療センター顧問、エイズ予防財団及び日本エイズストップ基金運営委員なども務めた。

 結婚翌年の1992年に乳がんが見つかり、幾度か再発を繰り返したが、いずれも早期発見で治療を続けながら芸能活動を続けていた。闘病の事実は親族のみに伝えられ、盟友である伊藤蘭と藤村美樹ですら、伝えられたのは亡くなる約3年前で、共演者には一切明かされていなかったという。

 2010年10月に十二指腸潰瘍を患い、その治療のため絶食をしたことで体力・免疫力が低下、乳がんが再発。2011年2月にはがん細胞組織が急激に増殖するラッシュ状態となり、肺や肝臓にもがんが転移、懸命の治療も甲斐なく2011年4月21日午後7時4分頃、国際医療福祉大学三田病院にて逝去。

 長年の盟友だった伊藤蘭と藤村美樹は、田中が亡くなる前に共に病室に見舞いに訪れたという。田中の逝去の報に、『家なき子』で共演した安達祐実、長年のキャンディーズフリークとして知られている自由民主党政務調査会長の石破茂などが追悼の辞を発表している。

 通夜は4月24日、葬儀・告別式は25日に青山葬儀所でそれぞれ営まれ、葬儀では藤村美樹が「私たちは永遠にキャンディーズだから」と語りかけ、伊藤蘭は「もう一度だけでいいから、(キャンディーズの)3人で逢いたかった」と涙を堪えながら弔辞を読んだ。葬儀の最後に田中好子本人のラストメッセージとなる肉声録音テープが流され、最後の別れを告げた。自身の死を察して入院先の病床で3月29日に収録したもので、夫の小達一雄に思いを託していた。

【メッセージ】
こんにちは、田中好子です。

きょうは3月29日。東日本大震災から2週間が経ちました。
被災された皆さんのことを思うと、心が破裂するように痛み、ただただ、亡くなられた方のご冥福をお祈りするばかりです。

私も一生懸命、病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません。
でもその時は必ず、天国で被災された方のお役に立ちたいと思います。
それが私の務めだと思っています。

きょうお集まりいただいている皆様にお礼を伝えたくて、このテープに託します。

映画にもっと出たかった。テレビでもっと演じたかった。もっともっと女優を続けたかった。お礼の言葉をいつまでも、いつまでも皆さんに伝えたかったのですが、息苦しくなってきました。

いつの日か、義妹・夏目雅子のように支えてくださった皆様に社会に少しでも恩返しができるように復活したいと思っています。
一(かず)さん…よろしくね。
その日まで、さようなら。

 2011年4月21日死去(享年55)


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