坂本九



坂本九(さかもときゅう 本名:大島九 1941年12月10日生)
 [歌手/俳優/タレント]


 神奈川県出身。『上を向いて歩こう』や『見上げてごらん夜の星を』、『明日があるさ』など数多くのヒット曲を出し、全世界におけるレコードの売上は1500万枚以上に達した。また、映画や舞台の俳優、テレビ番組の司会も務め、「あゆみの箱」運動、手話を広げる運動、障碍者福祉関係の慈善活動に積極的に参加するなど活動は多岐に渡り、1985年の日本航空123便墜落事故に巻き込まれるまで精力的な活動を続けた。

 1985年にレコードレーベルをファンハウスに移籍。5月22日に移籍後第1弾シングルを発売して、再び歌手活動を本格化させようとしていた矢先の8月12日18時56分に、搭乗していた東京(羽田)発大阪(伊丹)行同社定期123便ボーイング747SR-46が、群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(通称「御巣鷹の尾根」)に墜落、43歳で死亡した。事故当日はNHK-FM放送での仕事を終えた後に、大阪府にある友人の選挙応援として事務所開きに駆けつける途中であった。坂本は本来、国内移動には日航ではなく必ず全日空を使っており、所属プロダクションや妻の柏木由紀子も「手配は必ず全日空で」と指定していたほどだった。しかし、当日は全日空便が満席で、飛行機やホテルなどを手配した招待側の側近はチケットを確保できず、仕方なく確保したのが日本航空123便であった。そのため、家族も乗客名簿が発表されるまで日航機に乗っているはずがないと信じていた。

 しかし、乗客名簿の中に「オオシマ・ヒサシ」と「コミヤ・カツヒロ」(小宮勝広、坂本のマネージャー)の名が出て、事故に遭遇したことは否定できない事実となった。この事故で運命を共にした小宮は早めに羽田空港へ行き、全日空便への振替を何度も交渉したが、盆という時節柄叶わず、やむを得ずこの事故機に乗ったという。坂本、そして小宮の両名は、政治家や著名人が利用することの多いボーイング747SR-100の2階席、右列の前方から4番目に搭乗していた。事故の数日前、「全日空が満席で日航しか取れませんでした」という立候補者の側近からの謝りの電話が入っているが、当時電話をうけとった由紀子は忙しく、また勘違いをしていたこともあり、事故がおこるまでとくに気に留めていなかった(由紀子の後日談)。坂本は、ハンティング・ワールドのボストンバッグを機内に持ち込んでおり、墜落現場で発見・回収された。その中に録音可能なテープレコーダーが入っていたため、家族は遺言が残っていないかと期待したが、何も録音されていなかった(由紀子の後日談より)。

 事故翌日の8月13日には、事前収録の坂本本人が出演する、フジテレビ『なるほど!ザ・ワールド』200回記念が放送された。この時点では安否分からずの状態であったため、敢えて放送された。墜落から99時間後の16日、家族らによって遺体が確認された。密葬は東京都目黒区の自宅で行われ、本葬は9月9日に港区芝の増上寺で執り行われた。しかし、札幌テレビ放送で福祉番組『ふれあい広場・サンデー九』を担当していたこともあり、坂本の遺族と一緒に亡くなった小宮の遺族を札幌市内のSTVホールに招き、障害者とその家族だけを対象にした「偲ぶ会」という一般葬儀も執り行われた。戒名「天真院九心玄聲居士(てんしんいんきゅうしんげんせいこじ)」。墓所は東京都港区西麻布二丁目の長谷寺。墓には「見上げてごらん夜の星を」の歌詞の一部が刻まれている。

 坂本の不慮の死は、日本音楽界・歌手界にとって大きな損失と言われたほか、福祉界においても大きな損失と言われた。例えば、彼の死によって手話が市民権を得るのが5年は遅れたと言われている。

 坂本の曲は、日本航空の機内オーディオサービスでは絶対にかけられない(雑誌報道によれば、事務所側が拒否しているのは勿論のこと、他のアーティストが歌っている「明日があるさ」がかかっただけでも、日航へ乗客からクレームが殺到したためと言われている)。

 1985年8月12日死去(享年43)


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