イサドラ・ダンカン



イサドラ・ダンカン(Isadora Duncan 1878年5月26日生)
 [アメリカ・ダンサー]


 サンフランシスコ出身の20世紀を代表するダンサー。ダンスや舞踊だけではなく、身体表現そのものを生み出した「モダンダンスの母」と称される。

 両親はアイルランド人。音楽教師であった母親から音楽の基礎教育を受けた。早くから古典舞踊を学んだが、その慣習的な動きに満足できず、自分自身の創作する自由な舞踊を考えた。アメリカでダンスの仕事を少しした後、ヨーロッパに渡る。フランソワ・デルサルトに強く影響を受け、また古代ギリシアの壷やパルテノンの壁画などから感化を受け、当時のギリシア・リバイバルの波に乗り新しいダンスを生み出した。衣装も、ギリシア風のチュニックを用い、靴を用いず、裸足で踊った。

 ベルリンとパリ、そしてロシア革命後のモスクワにダンス学校を創立。20世紀のダンス、舞踊だけでなく、身体表現の形そのものを変革したといわれる。「裸足のイサドラ」のあだ名で呼ばれた。ダンス一筋の生活を送っていたが25歳で初体験してからは、恋多き女として知られるようになった。幾度となく男遍歴を重ねながら40歳にして17歳年下の詩人と結婚。だが結婚生活は破綻寸前だった。

 1927年9月14日、すべての過去と決別し、自身の回想録を書くため滞在していたニースで、たまたまカフェで知りあった男性のブガッティに乗せてもらった際に、イサドラは首に巻いた長いスカーフの一端が、その車軸に引っかかっていることに気づかなかった。周囲に別れを告げて、ブガッティが発進するや深紅のスカーフが一気に首を締め上げ、助手席のイサドラを引きずり落とした。地面に叩きつけられたイサドラの首は一瞬で折れ、咽が砕けた。ブガッティは慌てて急停車したが、イサドラは倒れたまま死んでいった。

 遺体は荼毘に付され、遺灰がパリのペール・ラシェーズ墓地に埋葬された。かつてイサドラには子どもが2人いたが、1913年、自動車がセーヌ川に転落するという事故でどちらも亡くしている。

 1927年9月14日死去(享年49)


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