フランソワ・セベール



アルベール・フランソワ・セベール・ゴールデンベール(Albert Francois Cevert Goldenberg 1944年2月25日生)
 [フランス・レーシングドライバー]


 パリ出身。8歳の頃、父親のももの上で運転を覚える。その頃に姉のジャクリーヌが紹介したジャン=ピエール・ベルトワーズに会ったのをきっかけにモーターレーシングに興味を持つ。16歳の時、母親のスクーターを使った友達との競争をはじめた。モータースポーツのキャリアの最初であった。クラシック・ピアニストとしての訓練を受けていたが、カートに興味を抱いて1964年モンレリーのレーシング・スクールに入学した。父親はレーサーになることに反対だったがセベールは夢を追い求めた。その後、父は勘当したが実力をみて和解した。

 兵役を終えた後、最初のシーズンはルノーエンジンを搭載するアルピーヌでF3に参戦したが、セットアップとカーメンテナンスの資金と経験がなかったためうまくいかなかった。1968年シーズンにむけてスポンサーを探した後、アルピーヌからワークスとしての参戦をオファーされたが、これを断りテクノカーへ移籍した。1968年にフランスF3でチャンピオンを獲得。その当時F2は理想的な練習環境にあったため多くのドライバーがF2クラスも参加しており、1969年、彼はテクノフォーミュラからF2に参戦し、ドイツでグランプリ・デビュー後、1勝してシリーズ3位の成績を収めた。

 1970年、ティレルから第5戦オランダGPでF1デビューを果たす。この年の第10戦イタリアGPで早くも6位入賞を果たす。翌1971年、セベールはフランスGP、ドイツGP2位とイタリアGP3位表彰台を経て、ワトキンズ・グレンでの最終戦アメリカGPで初優勝を遂げた。この勝利は1955年と1958年のモナコGPで優勝したモーリス・トランティニアン以来のフランス人のF1優勝であった。1972年はやや勢いを欠いた。セベールはフランスGPで4位、ベルギーGPとアメリカGPで2位とポイントを3回しかとれなかった。この年、セベールはル・マン24時間レースにおいてマトラ・シムカ・MS670を操り2位であった。

 1973年、ティレルは復調し、セベールは優勝こそないものの、表彰台を獲得するレースを常に見せるようになる。ワトキンズ・グレンで行なわれるシーズン最終戦アメリカGPでセベールは予選終了間際に4位のタイムを記録したが、彼はさらにタイム短縮を試みていた。ティレルはセベールに「もう出なくてもいい」と伝えたが、セベールは「ひとっ走りしてポールをいただいてくる」と言い、また車に戻り最後の1周に向かった。片手でハンドル、もう片手でバイザーを下しながら、スチュワート夫人に投げキッスをした。これがピットの人間が最後に見た彼の姿である(結果として上記の言葉が最後の言葉となった)。その直後の11時54分、直角の第1コーナーとバックストレートの間にある高速S字「エセス」に入る際、そこにある縁石の揺れのためセベールの車は左よりにドリフトしすぎた。エセスはアップヒルでガードレールがサーキットのすぐそばにあったため、オーバースピード(時速240km)で外側ガードレールに接触。この時点でフロントのスポーツカー・ノーズが弾け飛んだ。車はコントロールを失ってスピンし、マシンは鋭角に向きを変えるとトラックの右側にある反対側のガードレールへフロント部分から突っ込んだ。ガードレールの支柱に激突したため車体は横転。さらにこの「支柱」が破壊された事により二枚あるガードレールの上段がめくれ上がる形となり、宙を舞ったマシンは裏返ったままガードレールの真上に落下、セベールはマシンごと股から顎の下まで、真っ二つに引き裂かれ即死した。「死も契約に含まれている」と生前言っていた通りになってしまった。

 現場は凄惨であり、事故現場を見た当時のチームメイト、ジャッキー・スチュワートは『残骸の中を見たが、彼の姿を判別するのはヘルメットぐらいしかなかった。まるで屠殺場のようで…』と発言していた。その他のピットに戻ってきたドライバーたちは、一様に顔面蒼白になってマシンを降りた。事故原因調査の為、ピットに運ばれたマシンを中を見たメカニックによると、内部にセベールの体の一部が残っていたので彼らが拾い集めたという。スチュワートは最終戦でのこのセベールの姿に心を痛め、自身100戦目を迎えるはずであった日曜日の決勝を棄権し引退した。その後何回も復帰の話があったが、本人の「セベールに対する思いのため」テストドライバーとして運転したのみにとどまった。

 184cmと長身で少年時代からハンサムな容姿で知られていた上に、ハイスピードで走るので国民的ヒーローであった。80%のファンレターは女性からであったという。事故の日は寒いけれど天気は良く紅葉がきれいであった。その日の朝、ティレルに「今日はとってもいい日だから、こんな日に死にたくない」という言葉を残している。また、メカニックに「気づいたかい?運転する車はティレル006、カー番号6、エンジン66、そして10月6日。今日は自分の日だ!」という言葉を残している。

 1973年10月6日死去(享年29)


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