江美早苗



江美早苗 (えみさなえ 本名:神田恵美 1951年3月15日生)
 [女優/作詞家]


 島根県出身。6歳からバレエを習い始め、小学校2年生になった1958年、西野バレエ団に入団する。親の反対を押し切り高校を中途退学して東京に移り、同バレエ団で活躍、やがて金井克子、由美かおる、奈美悦子、原田糸子と並ぶ5人娘と呼ばれるようになる。江美早苗の名で、1967年に同バレエ団のメンバーで結成されたダンスグループ「レ・ガールズ」に参加、同年8月4日に放映開始した音楽バラエティ番組『レ・ガールズ』(日本テレビ)にレギュラー出演、1968年3月16日に公開された劇場用映画『ミニミニ突撃隊』や9月15日に公開された『初恋宣言』に「レ・ガールズ」のメンバーとともに出演する。同年にはフィリップスレコードと歌手として専属契約し、同年2月5日、シングルレコード『涙でかざりたい』でソロ歌手としてデビューしている。

 1971年1月31日に放送開始し現在もつづく長寿番組『新婚さんいらっしゃい!』の初代司会に満19歳で抜擢され、桂三枝・月亭可朝との3人でスタートを切った(同年7月11日の放送分を最後に同番組を降板)。同年6月16日に公開された映画『呪いの館 血を吸う眼』は、女優としての江美の代表作とされる。同年10月に発売されたシングル『ふたりの歓び』を最後に歌手活動を終えている。合計7枚のシングルを発表した。1972年春、満21歳で引退し、同バレエ団を退団して郷里の島根に戻る。

 1973年9月、東京に戻り、中里綴の名で作詞家としての再スタートを切る。1974年8月、CBSソニーレコードから発売された南沙織の16枚目シングル『人恋しくて』の作詞を担当。南は、本作によって第17回日本レコード大賞歌唱賞を受賞、同曲で『第26回NHK紅白歌合戦』に5回目の出場を果たしている。以降、作詞家としての地位を築き、伊藤咲子、沢田聖子、中森明菜、堀ちえみらの楽曲の作詞を手がけた。作詞家としての再出発以来8年の同棲生活を経て、1981年3月、音楽プロデューサーで14歳年上の屋代昭彦と結婚するも、1985年12月、屋代とは協議離婚している。1986年3月以降に発表された楽曲について、神田エミの名を使用するようになった。同名義では、少年隊、萩原健一、徳永英明、 内藤やす子などの作詞を手がけている。

 1988年3月5日、復縁を迫る元夫が、東京都品川区の自宅マンションにバスルームの窓を破壊して侵入、刃渡り20センチメートルの牛刀および登山ナイフで全身22か所を滅多刺しにされ、出血多量で死亡した。犯人は屋上に籠城し、翌日に逮捕された。この元夫は、しつこく江美にストーカー行為を繰り返し、江美の住むマンションの部屋が見渡せる向かいに建っているマンションの部屋を借りて住んでいたという執着ぶりだった。同年5月17日には東京地方裁判所で初公判が行われ、裁判の結果、懲役12年の実刑判決が下り、服役した。中里の暮らしたマンションは解体・再開発され、2003年に22階建の高層マンションに建替えられた。

 1988年3月5日死去(享年36)





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