高島道夫



高島道夫(たかしまみちお 1964年3月生)
 [俳優・高島忠夫の長男]


 1964年8月24日午前3時頃、風呂の浴槽に沈んでいる道夫を家政婦(当時17歳)が発見する。道夫はただちに自宅近くの病院へ搬送されたが、既に心肺停止状態であり、人工呼吸などが試みられたが助からなかった。

 通報を受けた警察は、殺人事件として捜査を開始。事件に最初に気がついた家政婦は「当日夜に窓の外を不審な男が歩いてるのを見た」「道夫が激しく泣いてるのを聞いた」などと証言した。しかし調べてみると「家政婦以外に不審者を見た者はいない」「家政婦以外に道夫の泣き声を聞いた者はいない」「高島家では犬を飼っており、この犬は普段から不審者が近づくと激しく吠えるが、当日夜に犬は吠えてない」「普段、全員が風呂に入り終わった後に家政婦が風呂桶の残り湯は抜くことになっていたが、この日に限り家政婦は風呂桶の湯を捨ててない」「犯人が物取り目的で押し入ったのならば、生後わずか5ヶ月の赤ん坊に姿を見られたとしても、その歳の赤ん坊なら証人になる訳もなく殺すというのは不自然」「道夫を風呂桶に入れてきちんと風呂の蓋を閉めて立ち去るというのも不自然」など次々と不自然な点が見つかり、これらについて警察が家政婦を厳しく追及。同日午後1時半頃に家政婦が自分の犯行であることを認めた。

 この家政婦はもともと高島夫妻のファンであり、地元の新潟県の中学校を1963年に卒業してから都内の墨田区にある会社で仕事をしていた。そして、この墨田区にある会社にたまたま高島夫妻の知人がいる縁で、1963年暮れより高島夫妻宅に住み込みで家政婦として働くこととなった。

 家政婦は犯行動機に関して、「道夫が生まれる前は、自分は高島夫妻から大変可愛いがられ大事にされた。が、道夫が誕生すると道夫ちゃんの面倒を見る看護婦が高島家に来るようになり、高島夫妻は自分を軽んじているように思い込んだ。そこで、道夫が居なくなれば看護婦も高島家に来なくなると思い浴槽に沈めて殺害した」ことを自供した。

 犯行当日、高島夫妻が渡米前に看護婦に「お土産をどっさり買ってくるからね」と声をかけているのに自分には何も言ってくれなかったのを妬んで思い悩んだ末に犯行を犯したという。

 犯行当日、家政婦は高島夫妻の食事の後片付けなど済ませたあと、午前1時過ぎ頃に一人で風呂に入った。入浴後、自室に戻ったところ隣の部屋から道夫のぐずる声が聞こえたため、道夫の寝ている部屋へ行ったところ、道夫は家政婦の足を掴むなどしてきた。家政婦はこの姿を可愛いと感じて道夫を抱き上げ、夕涼み目的で庭先へ出て道夫を抱いたまま、あやしたりしていた。その後、足が汚れたので足を洗おうと道夫を抱いたまま再び風呂場へ戻ったが、この時に「この赤ん坊さえ居なければ高島夫妻の愛情は私に戻るのではないか」と考え、気がついたら道夫を湯船に沈めていたという。道夫は激しく咳き込んだが、家政婦は、なおも道夫を湯中に抑えつけた。そして「このままでは犯行がバレる」と思い風呂から出た後に物取りの犯行に見せかけるため、室内を物色されてるように装ったという。

 事件翌日の8月25日に自宅にて通夜が営まれ多数の映画関係者や芸能人などが弔問に訪れた。祭壇には道夫の笑顔の写真が掲げられ、またお気に入りだった縫ぐるみなども飾られて弔問客の涙を誘った。通夜の後に記者会見が行われたが、心労が重なったため寿美花代は記者会見に欠席し高島忠夫が一人で記者会見を行った。

 1964年8月24日死去(享年5ヶ月)


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