アンドレス・エスコバル



アンドレス・エスコバル・サルダッリアガ(Andres Escobar Saldarriaga 1967年3月13日生)
 [コロンビア・サッカー選手]


 アンティオキア県メデジン出身。コロンビア代表のセンターバックとして数々の国際大会に出場。1989年にはアトレティコ・ナシオナルの一員としてコパ・リベルタドーレス優勝に貢献し、インターコンチネンタルカップでACミランとも対戦したことがある。代表では主将も任されるなど、南米屈指のディフェンダーとして知られた。

 1994 FIFAワールドカップ本大会に臨む代表メンバーにも名を連ね、カルロス・バルデラマ、ファウスティーノ・アスプリージャらを擁したコロンビアは同大会の優勝候補の一角と目されていた。しかし初戦の1次ラウンド第1試合・ルーマニア戦を1-3で落とし、第2試合の開催国アメリカ戦は、決勝トーナメント進出のためには負けられない状況となった。コロンビアの守備の要として先発出場したエスコバルだったが、前半35分に痛恨のオウンゴールをアメリカに献上した。その後追加点を許したコロンビアは、終了間際に1点を返すも届かず1-2で敗戦。この時点でコロンビアの1次ラウンド敗退が決定した。

 1次ラウンド終了後、代表チームはアメリカで解散となり、選手の多くは国民の非難を恐れて帰国しようとしなかったが、エスコバルだけは「自分はあのオウンゴールについてファンやマスコミに説明する義務がある」と帰国を決意した。この失点は、コロンビアの中盤での連携ミスから端を発したものであり、決してエスコバル一人の責任ではない。

 1994年7月2日の深夜3時過ぎ、エスコバルはメデリン郊外のバーで友人と歓談した後、店から出たところを数人の男女に取り囲まれ口論となり、最後には銃撃され死亡した。エスコバルと一緒にいた友人によると、犯人のウンベルト・ムニョス・カストロは銃撃の際に"Gracias por el auto goal(オウンゴールを有難う)"という言葉を口にしながら、一気に12発の弾丸を発射したという。

 この事件はコロンビア代表がの1次リーグで敗退したことへの報復行為であったと広く信じられているが、果たしてこの犯人が単独で及んだ犯行だったのか、またワールドカップを賭けの対象としていた不法賭博シンジケートが関与していたかどうかについては明らかにされていない。当時のコロンビアは殺人発生率世界一であった。世界のサッカーファンは大きな衝撃を受け、この事件を「エスコバルの悲劇」と命名。コロンビア国内で盛大な葬儀が執り行われた。犯人カストロは1995年6月にエスコバル殺害の罪で逮捕され、懲役43年の判決を受け服役したが、模範囚であるとして刑を短縮され11年後に出所した。

 1994年7月2日死去(享年27)


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