力道山



力道山(りきどうざん 本名:金信洛 1924年11月14日生)
 [プロレスラー]


 日本併合下の朝鮮半島で現地人の両親のもとに生まれた。後に長崎県の農家の養子となった。元々は大相撲の力士であったがプロレスに転身、第二次世界大戦終了後に日本のプロレス界の礎を築き、日本プロレス界の父と呼ばれている。当時始まったテレビ放送の力もあり絶大な人気を誇った。身長176cm、体重116kg。

 1963年12月8日午後10時30分に、遊興中の赤坂のナイトクラブ「ニューラテンクォーター」で、住吉一家傘下の大日本興業構成員であった村田勝志と足を踏んだ、踏まないで口論になり、馬乗りになって殴打したところ、村田に下から登山ナイフで腹部を刺された。だが、自ら持ちかけた喧嘩という事もあり表沙汰にはせず、知り合いの勤める山王病院(産婦人科)で十数針縫う手術を受け、入院。側近たちは、赤坂にある有名な外科病院である前田外科への入院を勧めたが、力道山は嫌がったという。結局、力道山はその傷が元で12月15日に穿孔性化膿性腹膜炎で死去した。戒名は大光院力道日源居士。

 傷そのものは大したことはなかったが、手術の際に麻酔を担当した外科医が気管内挿管に失敗したことで窒息し、死に至ったという分析もある。この事実は担当医が亡くなる直前に著書で告白したことから発覚した。また付き人であったミツ・ヒライの話によると、麻酔の打ちすぎだったともいわれている。一説では術後にもかかわらず、力道山本人が暴飲暴食(リンゴを食したり炭酸を控えるよう指示があったにもかかわらず見舞い客の前で「大丈夫、大丈夫」とサイダーをゴクゴク飲んだことなど)をした事が原因ともいわれていた。  

 1963年12月15日死去(享年39)


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