ダイムバッグ・ダレル



ダイムバッグ・ダレル(Dimebag Darrell 本名:ダレル・ランス・アボット 1966年8月20日生)
 [アメリカ・ギタリスト]


 テキサス州アーリントン出身。彼の父親はカントリーの作曲家で、テキサスのパンテゴという町にレコーディング・スタジオを所有していた。そしてそこで彼は多くのブルース系ギタリストの演奏を聴き、その影響は多くのパンテラの曲に反映されている。12歳の時にギターを弾き始め、「スモーク・オン・ザ・ウォーター」をマスターしたのをきっかけに、本格的にギターの世界に足を踏み入れるようになる。若くして州全体のギター・コンテストで7回ほど賞を受賞する。16歳の頃になると「コンテスト荒らし」の異名を取るようになり、最終的には主催者側からコンテストへの出場を禁止され、その代わりに審査員を頼まれたという経緯から、当時からギターの上手さは群を抜いていたと言える。

 1981年に兄のヴィニー・ポールとヘヴィメタルバンド「パンテラ」を結成。90年代よりパンテラの人気が高まるにつれ、ギター雑誌の広告や読者投票で紙面に頻繁に登場するようになり、ヘヴィメタルギタリストの人気投票でも常に上位にランクインした。パンテラの解散後、2003年後半に「ダメージプラン」を結成。第一作目のアルバム『NEW FOUND POWER』は全米チャート初登場38位という上位を獲得し、その後ツアーを開始した。

 しかし全米ツアー中の2004年12月8日、ダレルはオハイオ州コロンバスの「アルロサ・ヴィラ」というナイトクラブで、ダメージプランのパフォーマンス中に殺害された。犯人はオハイオ州メアリーズヴィル出身で25歳の元海兵隊員、ネイサン・ゲールという男である。

 コンサートが始まってすぐの午後10時頃、男はナイトクラブに入って来た。ステージと客席の間のフェンスを乗り越えてステージに乱入し、そのままステージの左側から入って反対側の右側まで進み、至近距離からベレッタのピストルでダレルの頭部にめがけて発砲した。あまりに唐突な事件であったため、誰もこの最悪の事態を回避することができず、またオーディエンスの中にはライブの演出と勘違いする者もいたという。男はピストルを乱射し、合計で15発もの弾丸を発射、ダレルはそのうち4発を撃ち込まれて絶命した。他にも客や警備員などの3人がこの時の発砲で死亡し、2人が負傷している。ネイサン本人も、その直後に駆けつけた警察官によって射殺されている。犯人が死んでしまったため、何故このような事件が起きてしまったのかは、現在でも分かっていない。

 この日は奇しくも、同じく拳銃で射殺されたジョン・レノンの24回忌に当たるが、それがネイサンの行動の引き金となったかどうかは分からない。ただ彼の自宅からは、“ダレルがパンテラを解散させた”ことを恨んでいたと記された日記が発見され、事件中にもそうした内容の言葉を叫んでいたという証言がある。さらに「パンテラの曲は俺が書いた物で奴等が盗作した」と友人に度々語っていたとも言われている。後にネイサンがかつて統合失調症によって精神病院に入退院を繰り返していた事も明らかになった。ネイサンが凶行に使用したピストルは、彼の母親からプレゼントされた物であった。

 2004年12月8日死去(享年38)





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