シャロン・テート



シャロン・マリー・テート(Sharon Marie Tate 1943年1月24日生)
 [アメリカ・女優]


 テキサス州ダラス出身。1960年代にテレビの小シリーズに出演し、その後映画に進出した。映画『吸血鬼』で共演したのが縁で1968年、映画監督のロマン・ポランスキーと結婚する。しかし、ほどなくして1969年8月9日に狂信的カルト指導者チャールズ・マンソンの信奉者達の一人、スーザン・アトキンスら5人組によって、一緒にいた他の4名と共にロサンゼルスの自宅で殺害された。

 チャールズ・マンソンは契約しなかった音楽プロデューサーを、自身が率いるカルト集団の信者たちに殺すように指示した。5人の狂信者が凶器を携え、ターゲットの住む自宅へ向かった。すでにその人物は引っ越した後で、住んでいたのはロマン・ポランスキー一家だった。だが、信者たちには関係のないことだった。目に付く人間たちを殺しながら、邸内に押し入ると、中には妻のシャロン・テートと3人の友人がいた。信者たちは次々にナイフでメッタ刺しにし、抵抗すれば銃で撃ち、最後にシャロンが残された。シャロンは「助けて。赤ちゃんを生みたいの」と哀願したが、信者たちは聞く耳を持たず、ナイフを突き立てた。計16箇所を刺され、腹を裂かれてシャロンは殺害された。信者たちはシャロンの血で、玄関に字を書いた。「PIG」、と。

 殺害当時彼女は妊娠8ヶ月であった。ポランスキーは、生まれることなく死んだわが子にシャロンと自らの父の名を取ってポール・リチャードと名付け、シャロンとともに埋葬した。事件の10年後、彼女の母親ドリス・テートは殺害犯がカルト的信奉を得、仮釈放の可能性が生じたことを嫌悪し、殺害犯の釈放反対運動に参加した。彼女の運動は公の注目となり、州法修正システムへの批判は1982年のカリフォルニア州刑法修正に結びついた。これらの修正で犯罪被害者とその家族が、判決および仮釈放審問において陳述を行うことが可能となった。彼女は新法の下、娘の殺害犯チャールズ・マンソンの仮釈放審問において陳述を行った最初の人物となった。

 シャロン殺害の主犯スーザン・アトキンスは、1971年に死刑判決が下ったが、カリフォルニア州の死刑一時撤廃に伴い、マンソンらとともに終身刑に減刑され、2009年9月24日に同州の刑務所で脳腫瘍のため獄中死した。

 1969年8月9日死去(享年26)


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