ブルース・リー



ブルース・リー(李小龍 本名:李振藩 1940年11月27日生)
 [香港・俳優]


 サンフランシスコ中華街生まれ。8歳頃から子役として数多くの映画に出演。幼少より、中国武術を身につける。18歳になるとリーは、わずか100ドルの所持金で単身渡米し、シアトルに移り住む。ワシントン大学哲学科に進学し同じ大学の医学生のリンダ・エメリーと結婚。その後、大学を中退し、道場経営に専念。截拳道(ジークンドー)を創始する。

 1966年に、アメリカの「ロングビーチ国際空手選手権大会」で詠春拳の演武をしたフィルムが、TVプロデューサーの目に止まり、TVシリーズ『グリーン・ホーネット』の準主役に抜擢され俳優デビュー。1970年に、ゴールデン・ハーベストと2本の映画出演の契約をする。翌1971年に成人後の初主演映画『ドラゴン危機一発』が香港の歴代興行記録を塗り替える大ヒットとなり一躍、香港のトップスターに躍り出る。主演第2作の『ドラゴン怒りの鉄拳』(1972年)では主演と武術指導を担当し、3作目の『ドラゴンへの道』(1972年)では、自ら「コンコルド・プロダクション」を設立し、製作・監督・脚本・主演の四役を担った。この3作によって、リーは香港で不動のトップスターの地位を築き、ゴールデン・ハーベストは興行収入で香港最大の映画会社となった。

 1973年7月20日に、リーは、『死亡遊戯』で共演予定の女優、ベティ・ティン・ペイの香港の自宅で頭痛を訴え、鎮痛剤を飲んでベッドに横になった。しかし、そのまま昏睡状態に陥り、クィーン・エリザベス病院へ搬送されたが、死亡が確認された。

 公式な死因は脳浮腫である。司法解剖の結果、微量の大麻が検出されたほか、脳が極度に肥大化していたことが判明した。検死報告によると、彼の脳は1400gから1575g(13%の増加)まで膨らんでおり、頭蓋内圧亢進により脳幹部が圧迫されて死に至ったと考えられている。リーは、『燃えよドラゴン』の撮影約1ヶ月後の1973年5月10日にゴールデン・ハーベストのスタジオで、音声吹き込み中に、昏倒し意識不明の重体に陥り、そのまま病院に運ばれ2時間後に回復するも入院し、13日には退院している。その後、渡米し精密検査を受けるが結果は異常なしであったとされる。脳浮腫が起きた原因は背中の古傷に長年使っていた痛み止め薬と、その晩に服用した頭痛薬の副作用といわれている。後にリーの死因は癲癇(てんかん)による突然死であった可能性が報告されたが、この症状が認識されたのは1995年以降のため、死亡当時は可能性が検討されていなかった。

 葬儀は香港とシアトルで行われた。香港では数万人のファンが葬儀に押し寄せ、この葬儀の様子は『死亡遊戯』の中で実際に使われている。遺体はシアトルのダウンタウン近くのレイクビュー墓地に埋葬された。

 1973年7月20日死去(享年32)


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