橋本真也



橋本真也(はしもとしんや 1965年7月3日生)
 [プロレスラー]


 岐阜県出身。中学時代に父が失踪し、母子家庭で育つが高校時代に母を亡くした。学生時代に柔道を始め、アントニオ猪木に憧れるようになり、1984年4月に新日本プロレスに入門。同年9月1日に後藤達俊戦でデビューした。その後、海外修行を経て帰国後、闘魂三銃士として、武藤敬司、蝶野正洋と共に売り出されることになり、対戦相手をリング上で叩き潰す姿から『破壊王』の異名を持つこととなった。1993年9月20日、グレート・ムタを破り、第14代IWGPヘビー級王者となった。その後、藤波辰爾に敗れて王座を一度手放すものの、直後の5月1日福岡ドームのメインイベントで藤波を破って王者に返り咲き、その年の活躍が認められ、「プロレス大賞MVP」を獲得した。

 プロレスデビューした小川直也と何度も抗争を繰り広げ、2000年4月7日東京ドームで行われた5戦目は、「負けたら引退」を公約し試合に臨んだものの、大敗を喫し、公約どおり新日本に辞表を提出した。しかし、同年8月23日、熱心なファンの子供から送られた復帰を願う百万羽の折り鶴をきっかけに引退撤回を表明。新日本内に別組織「新日本プロレスリングZERO」を作ろうとしたが、長州力らの反対にあい翌2001年1月13日付で新日本より解雇を言い渡されたため、直後にZERO-ONEを設立し完全独立した。

 2003年7月、試合中に右肩を脱臼し、勝利したもののこの時の脱臼がきっかけで三冠ベルトを返上した。その後、長い間治療せず放置していた右肩を手術し、リハビリをしながらリングへの復帰を目指していたが、2005年7月11日午前8時頃、滞在先において脳幹出血で倒れ、午前10時36分、搬送先の病院で死亡が確認された。橋本の早すぎる死は、睡眠時無呼吸症候群も遠因であったと推測されている。

 闘魂三銃士の絆を持つ武藤、蝶野の受けた衝撃は大きく、武藤が葬儀場の階段に座り込んだまま立ち上がれなくなったり、普段クールなイメージの蝶野が人目をはばからず涙に暮れるなどした。出棺時に橋本選手の入場曲である『爆勝宣言』が流され、参列者から投げられた数千本もの赤い紙テープと「ハッシモト」コールの大声援に包まれて送り出され、遺体は久保山斎場で荼毘に付された。戒名「天武真優居士(てんぶしんゆうこじ)」。

 2005年7月11日死去(享年40)


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