新見錦 (1836〜1863) 常州水戸の脱藩者で、神道無念流岡田助右衛門に学び免許皆伝の腕前。清河八郎の上洛浪士組に馳せ参じて、沖田林太郎、井上源三郎らの三番組小頭となる。清河らの帰府に反対、芹沢・近藤とともに京都に残留して、新選組母胎の局長となるが、その後降格され副長。しかし、日頃の素行がすこぶる悪く、祇園新地の貸座敷「山絹」において、詰腹を切らされた。墓所は不明だが壬生寺の殉難隊士の墓に刻まれた田中伊織と同一人物と思われる。 [先頭ページを開く] [指定ページを開く] <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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