【目次】 1863/2(文久3年) 【8日】幕府浪士組、小石川伝通院を出発して京都に向かう。 【23日】京都に到着し、壬生村に分宿する。同夜、清河八郎、新徳寺に浪士を集め、尊王攘夷の意思を表明する。 1863/3(文久3年) 【3日】浪士組に東下の命令が下る。 【10日】近藤勇、芹沢鴨ら十七人、京都守護職の会津藩主松平容保に嘆願書を提出する。 【12日】近藤ら、会津藩お預かりとなり、壬生浪士組と名乗る。 1863/4(文久3年) 【2日】近藤ら、大阪平野屋五兵衛方で百両を借用し、制服羽織の製作資金とする。 【13日】江戸に戻った清河八郎、麻布一乃橋において、佐々木只三郎・高久半之介らの兇撃で斬死。 1863/6(文久3年) 【3日】芹沢ら、大坂で相撲取りとの乱闘事件を起こす。その日のうちに芹沢、近藤の名をもって、大坂東町奉行所へてん末書を提出。 1863/8(文久3年) 【13日】芹沢ら、生糸商大和屋庄兵衛方を焼き打ちする。 [先頭ページを開く] [指定ページを開く] <<重要なお知らせ>>@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
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