デイジー&ヴァイオレット・ヒルトン姉妹



デイジー&ヴァイオレット・ヒルトン姉妹(Daisy and Violet Hilton 1908年2月5日生)
 [イングランド・結合双生児の女優/ヴォードヴィリアン]


 1908年2月5日、ヒルトン姉妹はイングランドのイースト・サセックス州ブライトンで生まれた。母親はケイト・スキナーという独身のバーテンダーである。姉妹は生まれながらにして、腰から尻にかけての部分が結合していた。血液循環は共有し、骨盤は融合していたが、主要な臓器は別々に有していた。出産を手伝ったスキナーの雇い主メアリー・ヒルトンは彼女らの商業的な可能性を明確に予測して彼女らを事実上買い取り、庇護のもとにおいた。姉妹の自叙伝によるとメアリー・ヒルトン、および、その夫ヘンリーと娘エディスは肉体的な虐待で二人を厳しい管理下に置いていたという。彼らは姉妹に歌とダンスの訓練を積ませた。メディコ・チャージカル協会は分離手術を検討したが、手術をすれば、少なくともどちらかが確実に死亡することになるだろうと思われたため、満場一致で手術に反対する決定がなされた。

 ヒルトン姉妹は3歳のとき、「ジ・ユナイテッド・ツインズ」としてイングランドで最初のツアーを行った。メアリー・ヒルトンは彼女らを連れてドイツ、オーストラリア、さらには米国のあちこちで巡業した。彼女らの「支配者」は、彼女らが稼いだ金をすべてピンハネしていた。

 1926年、タップダンスができるヒルトン姉妹を起用して、ボブ・ホープが『ダンスメディアンズ』と呼ばれる出し物を作っている。メアリーは亡くなる時、遺言により双子を娘エディスとエディスの夫マイヤー・マイヤーズに相続させた。エディスとマイヤーは1920年代双子の収入による財産の一部でアメリカへ渡りテキサス州サンアントニオに大邸宅を建築させて住居とし、双子姉妹はアメリカ中で巡業させた。姉妹はヴォードヴィル界でクラリネットやサクソフォンを演奏し、歌やダンスを披露した。姉妹はマイヤー夫妻の家庭外に親交を求め、のちにエージェントとなるウィリアム・オリバーと交友を持つ。オリバーの妻は夫が姉妹と過ごす時間が多いと離婚訴訟を起こしてスキャンダルとなる。このスキャンダルに対処するためにマイヤー夫妻が姉妹につけた弁護士マーティン・アーノルドは法的成人年齢である21歳に達していた姉妹に「なぜマイヤー夫妻のところに縛られているのか」と尋ね、姉妹は自分たちの置かれている状況に気づかされてショックを受ける。弁護士アーノルドは姉妹がマイヤー夫妻から独立するための手助けをし、姉妹はマイヤー夫妻の束縛から自由の身となった。彼女らは恵まれなかった過去の埋め合わせをするかのように数多くの情事を重ねたが、結婚許可証を得ることができず、二人とも短期間の結婚生活に失敗している。

 1932年に姉妹はトッド・ブラウニング監督の映画『フリークス』に本人役で出演し、1951年には自分たちの半生をもとにしたキワモノ映画『チェインド・フォー・ライフ』に主演した。

 ヒルトン姉妹が最後に公衆の場に姿を見せたのは、ノースカロライナ州シャーロットのドライブインシアターにおいてであった。そこで、ツアーマネージャーが彼女らを捨て去ったのである。移動の手段も収入を得る手段もないので、彼女らは近くの食品雑貨店で働くことを強いられた。1969年1月4日、二人が出勤しなくなったので雇い主が警察に通報し、自宅で二人とも香港かぜで死亡しているのが発見された。法医学の鑑定により、先にデイジーが亡くなり、2〜4日後にヴァイオレットが後を追ったものとみられている。

 1997年、姉妹の生涯をもとにしたブロードウェイ・ミュージカル『サイド・ショウ』が、トニー賞で4部門のノミネートを受けた。

 1969年1月4日死去(享年60)


<<重要なお知らせ>>

@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
@peps!・Chip!!は、2024年5月末をもってサービスを終了させていただきます。
詳しくは
@peps!サービス終了のお知らせ
Chip!!サービス終了のお知らせ
をご確認ください。



w友達に教えるw
[ホムペ作成][新着記事]
[編集]

無料ホームページ作成は@peps!
無料ホムペ素材も超充実ァ