今藤幸治



今藤幸治(こんどうこうじ 1972年4月28日生)
 [サッカー選手]


 愛知県出身。静岡学園高校から1991年に 松下電器産業サッカー部に入部。その後ガンバ大阪の選手として活躍し、1996年にはJでただ一人、GKの背番号である1を除き、2〜11のフィールドプレーヤー全ての背番号を付けるという偉業を達成した(当時は、背番号固定制ではなかったため、可能であった)。ファルカン監督時代には日本代表にも選出された。

 1996年12月29日、第76回天皇杯 準決勝の対サンフレッチェ広島戦 後半31分、広島のサントスと交錯。一度は立ち上がったものの、頭を押さえて倒れ込み、痙攣を起こす。選手やスタッフに助けられ、担架で運び出される。検査の際に脳腫瘍への罹患が発覚、1998年シーズン途中でガンバ大阪を退団。4度の手術やリハビリを繰り返すも、2003年4月17日午前9時43分、30歳の若さで他界した。

 選手時代は創成期のガンバを不動の右サイドバックとして支え、細身の体から繰り出される鋭いクロス、卓越したスピード、豊富な運動量が武器だった。また、ユーティリティ性も兼ね備え、ボランチなどでの起用もあった。

 2003年4月17日死去(享年30)


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